跪いて足をお嘗め

どこまでならハメを外していいのか理解できていないあたりが大人じゃないんでしょう要するに。
木を見て森を見ず。
抜く所は抜くべきだけれども最低限しなければならない事はやっておかねばならない。全てにおいて。



本来大学で学ぶべき事ってなんなんでしょうか。
受験の延長線上のような暗記アーンド演習漬けの生活を続ける事なのか、社会に出る前のモラトリアム期間を利用して適度に学び、適度に遊ぶための要領を身につける場なのか、はたまた人生の夏休みなのか。
もはや学問のための場としての大学の意義なんて考慮に入れる余地もないとさえ思わされてしまうのは、理学とも実学ともとり難いツールを学ぶ事に特化した外国語学部に所属しているからなのか、はたまたピヨピヨ日和ってるだけなのか。

自らの置かれた状況に文句をたれてばかりでは何も始まらない、という事はしっかりと理解している。だけど現状に対する批判的態度はけっして崩すべきではない。
ノリつつシラケるの、すごく大事。『構造と力』は序文だけ読みました。


理学、実学を学ぶための普通の四年制大学で何も身につかずに(この場合上記のなんちゃらする要領は別として)卒業するよりはツールだけでも身についていた方が遥かにマシ。なんてネガティブな捉え方をする姿勢自体唾棄すべきなのよ。
こんなクソ大学、利用できるものは全て、ケツの穴まで掘り返しては骨の髄まで搾り取り尽くしてちゃっちゃと卒業してやるわよ。



くらいの態度でいたい。好きだけれどもうちの大学。クソなところが。
文句ばっかたれて留年スレスレのラインを地で行っている人達をせせら笑って悠々と卒業してやりたい、というのが今のアタクシの心境ですわ。今までフラフラしてた分これからはね。
若かりし頃のラディカルさが戻ってきたんじゃないかしら、と思ったりする今日この頃。お肌にハリとツヤが出てきたわよ。そこの駄犬、こっちへ来てアタクシの靴をきれいになるまで嘗め回しなさい。



本当S先輩のように生きられるようになりたいわん。


留年するかな。しないかな。
留年しそうなのに今日はなんだか妙にポジティブだわ。
逆にやるべき事が明確に見えてきた感覚が。不安要素に包まれていられるのって見方を変えれば本当はすごく幸せな事。のはず。
少なくとも受験期はそう信じていた。今も、これからもその思いは変わらずに持っていたいわ。


進級できたらラッキー、くらいの覚悟ではいるけれどいずれにせよ一年分の勉強量は今すぐにでも取り返さなければならないな。

ぐっ。